私にとっての仲良し一号は、相手にとっての仲良し五号かもしれない
傷つく勇気が、私にはまだない。
久しぶりの友達に連絡をとるのって勇気がいるではないですか。
ふっとした瞬間に、あの子いま何してんのかなーって、連絡しようかなって、LINEを開いてはみるものの、送れない。忙しいかも、迷惑かもって、思いとどまってしまって、結局送れずに終わる。根性なしな自分。
私は今東ティモールで働いていて、そうゆう関係性の人がかなり、大量にいる。というのは、東ティモールで仲良くなった人たちって、だいたい2年とか3年で帰っちゃう人が多いのよ。決まった任期があって、一時的に滞在するだけであって、移住するような物好きな人(←褒めてる)は本当にわずかしかいないのです。
仕事上でもやり取りがあって、プライベートでも会うようになって、お互いに仲良くなった、という認識がある。頻繁にランチ行ったり、夜ご飯行ったり、日本で買ってきてほしいものをお願いしあったり、かなり頼り合う関係になってゆく。けど、相手は任期を終えて日本とか他の国に行っちゃって、その時はもちろん寂しいな、と思うのだけど、日々の業務に追われて、こまめに連絡するタイミングもなくて、気づけば全然連絡とってない、みたいな。お別れ会したっきり、音信不通。そして自分の中では仲の良かった友達からちょっと気心知れた知り合いへと格がさがっていくのです。非常に惜しいというか、なんというか、残念だなと自分にちょっと落胆する感じ。
私はSNSを頻繁にアップデートするこまめな人間では全くないので、物理的な接触が減ると、私が何しているか不明、どこにいるかも不明、生きているかどうかも不明、みたいな状況になってしまう。それが良いか悪いかという話ではなくて、こうやって孤立していってしまうのではないか、という漠然とした不安。距離が離れた友達とつながっていたいなら、連絡とるしかないんだけど、なんだかできないんだよなあ。
その辺、相手が連絡してくれたらかなりテンションが上がる。それが好きな友達であればなおさら。やっほーいって感じ。なんか意気投合して、遊びに行くわ!みたいなことも何度かあった。でもね、気づいてしまったのです。これ。結局私が受け身ってだけなのかもしれない。
私はかなりの場合において、受け身になりがちである。これは外交関係に少なからず関わってきた職業病みたいな部分もあるのかもしれない。相手が先に発言する、そしてそれが自分の防衛線になっているのです。意味わかる?例えば、東ティモールで転職するとき。契約期間が終わって、次の職を探しているときに、こうゆうプロジェクトが始まって日本人を探しているのだけど、興味ない?みたいに聞かれる。それに、まあ、興味はあるかな、いいよ、応募しますよ、と答える。これは積極的に自分がやりたい!と思って応募するときと意気込みが全然違っていて、もし、落ちた時の自分への言い訳がしやすくなる環境にいるんじゃないかな、と自己を分析。まあ誘われて入る場合は落ちる可能性もかなり低くなるので、それもある気がするけど。だって、落ちたくないからね、基本的には。傷付きたくないんだよ、要は。自分でこれやりたい!と意気込んで応募して、落ちてしまった暁にはもう、ショックではないですか。だから、私はそうやって受け身になることで、自分の心を守っているのだと思うのです。
そう、これは友達への連絡も同じなのです。久々に連絡してそっけなかったら傷つくもんね。だから怖いのかもしれない。怖いって自分で言ったね、そうです、私は怖がりなのだ。傷つきたくない。 仲が良いと思っていた人に、嫌われたくない。これね、自分にとっては仲良いと思っている人が、同じレベルで仲良いと思ってくれてるかどうかは分からないではないですか。私はそんなに友が多いタイプではないので、私にとっての仲良し一号!が相手にとっては仲良し五号!くらいの場合もかなりのケースであるんじゃないかと思っていてね。だからこそ遠慮しちゃって他愛もない連絡ができなくなっちゃうのかもしれない。傷つかないように、行動を起こさず、自分を守る、受け身という名の防衛線。
相手がどう出ようとも、自分が連絡したければする、応募したければする、そうゆうまっすぐな生き方ってかっこいいよね。あこがれるな。私はまだ傷つく勇気が持てていない。
今日も読んでくれてありがとうございます。
良い1日になりますように。
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